さて、今回は「20代で仕事に成功したとは?何をもって“成功”と呼ぶのか」というテーマでお届けします。
「結果を出す=成功」なのか?
「20代で一生懸命働けるかどうか」って話、よく聞きますよね。SNSとかで、カブモさんをはじめいろんな人が発信してて、だんだん定着してきたように思います。でも、“成功”って何なんでしょうか。
年収? 売上? 有名企業に入ること?
成功してそうな顔をしてる人って、たくさんいますよね。でも、よく見てみたら資金調達はしてるけど赤字だったりして、「何なんだよコイツら!」って腹が立ってくる(笑)。
だからこそ、「成功って何なのか?」って、ちゃんと定義してみたいなと思ったんです。
年収だって会社によって全然違うし、売上だって他の会社に行ったらトップセールスになれるとは限らない。じゃあ、何をもって「20代で結果を出した」って言うんだろう?って。
成功の定義は、自分が決めるもの
これは、高学歴かどうかを問うのと似てます。「自分が高学歴だと思えば、それでいい」というのと同じで、「自分が超えたいと思ってたラインを超えられたかどうか」が成功の基準なんだと思うんです。
つまり、自分への期待値を超えたら、人は自己肯定感が上がる。それが“勝ち”なんですよ。自分が「ここまで行けたら成功だ」と思っていたラインを超えたとき、それはもう成功だと思えるんです。
例えば、あなたが「ショート動画が今の10倍再生されたら成功だ」と思っていたら、10倍再生されたときに「成功した」と感じるでしょう?
だから、成功って結局は“自分のポテンシャル次第”なんです。
他人の評価もあるけれど…
でも、評価するのは他人ですよね。「あの人は成功した」「いや、してないよ」って、外からラベルを貼られることも多いです。
たとえば、ある人から見たら全然成功していないように見えても、別の人から見たら「成功してる」と思われる。だから、すべては“人の目”によって変わる。
結局、他人の価値観やその人自身の器によって、基準は全部違ってくるんです。だから、「定義するのは難しい」というのが結論ですね。
会社員やフリーランスの「成功ライン」とは?
会社員の「成功」はどこ?
カブモさんが見る、SNSでの「20代で結果を出しましょう」っていうラインはどこなんですか?
「会社の中で“仕事ができる人”としてポジションを築けたかどうか」だと思います。
ある程度成果を出して、多少アホなことをやっていたとしても、会社にとって“必要とされる存在”になっていたら、それはもう“結果を出した人”だと思います。
フリーランスの成功基準は?
フリーランスはちょっと特殊だから難しいけど、僕自身は20代で「売上10億円」という数字を意識していました。
29歳のとき、会社の最後の期に、普段なら受けないような仕事をあえて受けて、売上を頑張って作った結果、ギリギリで達成できたんです。
だから、僕の中ではそれが“成功した”と思えた瞬間でした。でも、人によっては「そんな数字、必死になって追うもんじゃない」と思うかもしれない。
結局は「自分がどんな物差しを持ってるか」なんですよね。
社会人としての負荷をかけ続けた20代が“成功”
熊谷さんの考える「20代の成功」
ここからは少し別の視点になりますが、「社会人1年目としてスタートしてから、30歳になるまでに、自分にかかっている負荷のレベルを下げずに走り切った人」は、成功というより「いい過ごし方をした」と思っています。
この“負荷”っていうのは業務時間とかだけじゃなくて、例えばレベル1の仕事ができるようになると、次はレベル2の仕事が降ってくる。レベル2ができるようになると、次はレベル3が…と上がっていきますよね。
この時、レベル3ができるようになった人にとっては、レベル1や2はもう簡単な仕事になっているわけです。だから成長してる分、負荷は下がっていく。
でも、さらに上のレベルに挑戦することで、また負荷がかかる。そうやって、社会人1年目の頃の負荷を下回らないように、もしくは上げていけた人は「走り切った」と思います。
たとえ結果が出てなかったとしても、「20代でしっかり走った人」は、30代以降もちゃんと走り続けられる。仕事に向き合うスタンスが、そこで作られると思うんです。
熊谷さん自身の経験
僕自身は「負荷をかけ続けよう」と思っていたわけじゃないですが、結果的に環境的にかかってたと思います。
それは、望んでそういう会社に入ったってのもあるんですけど、本当にいろんなことがありましたよ。
たとえば、入社して半年で部下が4人ついたんですけど、そのうち2人は先輩、2人は同期という、わけのわからない状況でした。マネジメントも任されましたし、3年目では新規事業の責任者になって、事業全体を引っ張る役目も担いました。
そういう意味でも、負荷のかかる環境に常にいたので、結果的にはいい経験になったと思っています。
負荷をかけ続けた20代に感じた達成感と、その後の人生
「30歳の自分が、20代の自分に合格点をあげられた」
例えばですけど、やっぱり思うんですよ。「あのタイミングで負荷をかけてもらって本当に良かったな」って。
それは30歳になったときにも改めて感じましたね。
100点満点の合格ってわけじゃないけど、「20代の自分の働き方や社会人としての走り方には、ちゃんと合格点をあげられるな」って思えたんです。
そういうふうに思える状態で30代を迎えられたのは、個人的にすごく嬉しかったですね。
「負荷をかけ続けられない人」はどうなるのか?
「“マロ”って言い方あれですけど…」
とはいえ、負荷をかけ続けられない人っているじゃないですか。体力的に無理だったり、環境的に難しかったり。
……その、なんていうか“マロ”って言い方はよくないですけど(笑)、現実的に無理な人もいますよね。
で、そういう人ってどうなるんですか?
たとえば、若い頃に培ったベースで、惰性でも何とか生きていけるポジションにいる人もいれば、もう本当にどうにもならない人もいる。
どうにもならない人は……もう「ゲームオーバー」なんですかね。
勝てるフィールドを見つければいい
ゲームオーバーっていうとちょっと極端ですけど、「冴えない人生を送る」みたいなことになる可能性はあるかもしれない。
もちろんそれは“ビジネス”という側面での話ですけどね。
でも、それがすべてじゃないと思うんです。
たとえば趣味の世界で自分のフィールドを見つけるとか、結局みんな「勝てるフィールド」に時間を使いたいんですよ。
勝てないと面白くないから、うまく自分のポジションを調整してる人が多い。
俺も含めて、できないやつは“できる場所”にいさせてもらってるんですよ。
たとえば、いきなりポケモンカードの市場に放り込まれたら、俺は絶対勝てない。でも、それをずっとやってる人がいる。
しかも、そういう人たちって、そのジャンルにしかない独自の競技性の中で戦ってて、ほとんどライバルがいないから1位になることもある。
自分の勝てる土俵で1位を目指す
そういう意味では、ジャンルを絞って、自分の得意なフィールドで戦うことが大事。
お前だって、就活系のショート動画で、おバカキャラのコントっていうピンポイントなジャンルで、20代後半の中では1位じゃん。
年齢やジャンルを絞って、自分が勝てる場所を見つけたんだよ。
成功か失敗かがわかるのは死ぬとき?
じゃあ、もう結論いいですか?
もう終盤なんで、これでまとめます。
「成功したか失敗したかがわかるのって、人生の最後、死ぬときだけなんですよね。」
だから、今この瞬間の成功・失敗なんて、実はそんなに意味がないと思うんです。
失敗を重ねながら、それを成功に変えていくしかない。
とりあえず、今は頑張るしかないんじゃないかなって。
……って、ちょっとまとめっぽくなっちゃった(笑)
でも、結局“人による”んですよね
いやでもほんと、「成功か失敗か」って、結局は人によるじゃないですか。
だからこそ、深く考えすぎず、とりあえず頑張ってみることが大事かなと思います。
——あぶね、ちゃんとまとめられてよかった(笑)
でも最後に一言だけ言わせてください。
成功の定義は、死ぬ前じゃなくても考えられる
さっき「死ぬときじゃないと成功か失敗か分からない」って言いましたけど、やっぱちょっと違うと思うんですよ。
人生って、ゲームと違ってゴールが分かりづらいじゃないですか?
だから、「人生ゲームのゴールみたいに、死ぬときに“勝った”かどうかがわかる」ってのは、ちょっと無理あるかなって。
だって、たとえば死ぬ直前に宝くじで100億円当たったとして、「はい、成功!」って言えるかって言ったら、それってちょっと違う。
そもそも「死んだことないのに」なんで分かるの?
てかさ、ショッピーさん、死んだことないのに、なんで「死ぬときに分かる」とか言えるの?(笑)
死んだ後に何かあるかもしれないじゃん。
いや、マジで(笑)
腰も痛くなってきたし、やるなら戦いますよ。
でも「勝った人=成功した人」ってわけでもないですよね。